Interview 会員インタビュー

立川のたいこばん(推奨認定品)企画委員会 新井 敏之 委員長 「住み、働く人が誇りに想う街・立川を目指す」

立川と新井さんの関わりについて

大正15年、軍の航空カメラマンだった曾祖父の新井康弘さんが創業したアライ写真館。
立川に根付き現在、4代目となる新井敏之さんは、「自分たちが、自分の街を自慢したくなる立川」を目指す。

空撮で日本全国の地図を作る記録などを行っていた曾祖父。
フロム中部の裏手あたりに同館を開業したが、フロム中部の店舗拡大に際し戦後、現在の高松町に移転した。
商店街の一角に生まれ育った新井さんは大学卒業後、都心の広告代理店でカメラマンとして勤めた後、立川に戻ってきた。

立川での思い出や、これからの立川への期待は?

「物心ついた頃には駅ビルwillがあり、瞬く間にららぽーと立川立飛、イケア、グリーンスプリングスができ、急激に街が変化。他の街に行く必要がなくなった」うれしそうに地元の発展を語る一方、「地方の友人たちに立川のことを話すと、吉祥寺、八王子は知っていても、立川は知られていない。それがすごく悔しい。立川で暮らす人、働く人に同じ思いをさせたくない」と話す。
実際に立川を案内した際には「えっ!立川ってこんなにすごいの?!」と皆が驚く。
「そんな今の立川を、全国へ売るためのシティプロモーションが何より大切」と日頃の想いを述べる。

立川観光コンベンション協会が進める食や土産品の魅力を伝える立川のたいこばん企画やロケーションサービス、アニメの取り組みにも大きな可能性を感じ、「外からプロの人、会社を呼んでも仕方がない。自治体、企業、団体間の壁をもっとなくし、オール立川で取り組んでいけば、強いシティプロモーションに使えるものがすでに多くある」と話す。
全国のどこかにある街を目指すのではなく“立川らしさ”を発信するためにも、「立川に住んでいる人、働いている人が、立川のことを誇りに想う。そんな街づくりの一助になることにこれからも尽力していきたい」と目を細め話していた。

(取材:高木 誠)

立川のたいこばん(推奨認定品)企画委員会 新井 敏之 委員長 「住み、働く人が誇りに想う街・立川を目指す」
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