中島建設株式会社 中島 孝昌 社長 「経済の発展と共に『環境都市』と『国際都市』目指す」
立川と中島さんの関わりについて
2024 年度、新たに立川観光コンベンション協会の監事に着任した中島さん。
創業地でもあり、生まれ育った立川駅南口の街の文化をこよなく愛している。
祖父・沖司さんが大正14年に多摩川の砂利の採取などを行う土木建築業「中島商店」として柴崎町に創業した同社。
昭和33年、父・富治さんが法人化をし、中島さんは3代目となる。
昭和52年に大学卒業後、多摩中央信用金庫に入庫し11年、多摩各地の支店で営業職などにあたった。
世はバブル景気で活気溢れる中、現在の中島建設へ入社したが次第に景気は悪化。
建設業界に厳しい逆風が吹く中、43歳で代表取締役に就任した。
「地域になくてはならない建設会社」をモットーに、古くからの顧客を大切に、地場に足をつけた経営で、厳しい時代を乗り越え、堅実な経営に手腕をふるってきた。
立川での思い出や、これからの立川への期待は?
立川駅南口で生まれ育った中島さんは「今よりもっと自然が豊かだった多摩川で日が沈むまで遊んだ。それが私の原風景」と話す。
駅近くは狭い路地が縦横に走り、魚屋、八百屋、肉屋などの個人商店が立ち並び、小さな飲食店や駄菓子屋なども。
「大人も子どもも交じり合い、昔ながらの活気に溢れていた」と当時を嬉しそうに振り返る。
「立川には昔から『南口の文化』『北口の文化』『砂川の文化』と3つの文化がある。そして今、4つめの文化として新街区のグリーンスプリングスや、大型商業施設、アリーナなど、立飛ホールディングスさんが主導する開発で、新しい立川の文化が生まれてきた。それぞれに魅力があふれ、その個性を大切にし続けていくことが大切」と語る。
中島さんが描く、これからの立川を語る上で、キーワードとしているのが「環境都市」と「国際都市」。
経済を発展させていくと共に、この両輪を意識し、街作りを考えていく必要があると訴える。
「そのためには立川だけでなく、広域多摩と捉え、他地域と連携を深めていくことが必要不可欠」と意気込みを語ってくれた。
(取材:高木 誠)